繰り言

4月22日“Earth Day”午前11時

I駅からT駅へと向かう電車の中で。

 

疲れ、苛立ち、不安、空回り。

こんなものにとらわれて、くたくたで、もう戻れないくらい打ちひしがれて。

僕は死にたくない。マドレもパドレもみんな踊れ。

僕もくるくるひとり踊り。周りに迷惑かけてるかもな。

あっち向いたらこっち向いて、尻尾をあちこち振り回したり。

哀れな生き物それそのものは僕の存在僕の自我。

楽しい気持ちになってみたり、自分を卑下して安売りしたり。原子は揺れる。僕は止まれず。

僕の価格の上下動。僕は僕を愛してます。今日この場所で今のところは。

音楽も響かない空間に僕の魂は落っこちた。

魂は救われない。魂は消えない。

電車の車窓につく雨滴。気圧の低下に付き従って。

僕の生命、晴れ明らかであるべきでしょう?

僕は会いたい人がいる。君のことだよ。もう会えない人もいる。君ではないよ。

正直言ってそれだけさ。恥ずかしがるなよ、僕らはやがて死ぬだけだから

気圧の低下に付き従って、肺いっぱいに息を吸え

 

 

 

 

 

 

4月17日 「おやすみ」

昨日と今日は仕事が休みだった。舌も怪我しているし粘液嚢胞も治らない。ずっと風邪をひいていて、これもまたいつまで経っても治らないから、久しぶりに休みの日に何も予定を入れずにしっかり休んだ。この二日間でしたことはヨガと食料品の買い物とギターを弾いたことくらいだ。掃除もろくにやっていない。

それでもまだ少し疲れを感じている。ゴールデンウィークに向けて仕事は忙しくなる一方だろうから、もっと自分をいたわらないと体を壊してしまう。

少しだけ本も読んだ。太宰治の手紙集をランダムに読んでいて心に残った一文がある。

文化と書いて、それに、文化(ハニカミ)というルビをふること、大賛成。私は優という字を考えます。これは優(すぐ)れるという字で、優良可なんていうし、優勝なんていうけど、でも、もう一つ読み方があるでしょう? 優(やさ)しいとも読みます。そうして、この字をよく見ると、人偏(にんべん)に憂うると書いています。人を憂える、ひとの寂しさわびしさ、つらさに敏感なこと、これが優しさであり、また人間としていちばん優れていることじゃないかしら、そうして、そんな、やさしい人の表情は、いつでも含羞(はにかみ)であります。(中略)「文化」が、もしそれだとしたなら、それは弱くて、まけるものです、それでよいと思います。私は自身を「滅亡の民」だと思っています。まけてほろびて、そのつぶやきが、私たちの文学じゃないかしらん。

それについて考えているとき、タイミングよくある出来事が起きた。

今日、僕の住む国際シェアハウスに元住人の日本人の女の子が東京からやって来るとのことだった。彼女はカバン一つでヨーロッパをめぐり、現地でお金を稼いだり援助してもらいながらほぼ無一文のまま旅をしたというのだ。その旅を終えて旅の記録をまとめたという本に僕は一度目を通していた。内容は旅先でのたくさんの写真と、簡単な説明や出来事を述べた文章が添えられていた。タイトルは「LOVE」。大体の写真に自分の顔が写っていて、巻頭の文章にはガンジーの言葉を引用されていた。巻末の彼女の言葉には「愛とは何かと問われたらよくわからないけれどとにかく愛を拡めたい」などとも書かれていた。書かれていた出来事も、旅先の異国の人たちに自分はどんなことをしてもらったかということばかり。歪んだ自己愛でしかないと思って閉口した。

実際に会ったらどんな感じの人なのか、あんまりいい予感はしなかったけれど、本というツールで表現するという面では近しいものがあったし、彼女と仲のいい現住人の子は素直で素敵な人なので、その点では信用できたし、会うのはそれなりに楽しみだった。考え方は違えど、話しているうちに何か得られ学べるものもあるだろうと思っていた。

その元住人の女の子は共用のリビングルームのソファに座っていた。僕が部屋に入ると開口一番「Hi」と言われた。「Hi」と返すと彼女は「日本人?」と聞いてきた。「ええ」と僕が言うと、彼女は手の甲を僕の方に向けて払いながら「それ(日本人)ならいいや」と言って二度と僕の方を見なかった。彼女の考えるLOVEとは一体なんだろう。どうして彼女はみんな自分のことが好きで、あくまで自分は選ぶ側だと思っているのだろう。「いま日本人だからって手で払いのけたよね?」と僕は笑いながら言った。彼女は僕の苦言に返事をせずに、その場にいた共通の友人との会話を再開した。「この前のポルトガル人のサーファーは筋肉凄すぎてセックスの時コントロールできる奴だった」「昨日のアメリカ人は私との体の相性が良すぎてヤバかったらしい」「福岡はマジでマッチングアプリに外国人いなさすぎ。泊まるとこ見つかんないじゃん、東京なら一瞬なのに」などなど。どうして自らをそして他人を道具化してしまうのか。彼女は海外での旅で一体何を見て何を考えていたのだろう。ここで最初に引用した太宰の手紙に戻ってほしい。彼女の態度にハニカミなどどこにもない。文化的態度とは呼び難い。といっても、生物学的な視点で見れば僕や太宰治の態度は弱く頼りなく淘汰されうる性質で、彼女のやり方はある種僕たちより望ましいものだろう。

しかしまあ、まさか日本人から人種差別を喰らうとは思いもしなかった。自分や一部の人間だけがコスモポリタンだと思い込んでいる人間はたちの悪い選民主義のナショナリストでしかない。だから僕はこうして書くことで文学的にささやかな意趣返しをするのだ。これこそが滅亡の民のやり方なのだ。彼女は自分だけが特別であると信じている。他人に対して冷酷で、盲目で、なんだかもの悲しい人だった。彼女の考える愛とは何か直接訊いてみたかった。

海外を巡ってティンダーツアーなんかすると動物みたいな人間になるということは分かった。

 

4月11日 曇り→雨「まあまあ」

今日は昼の仕事が遅い始まりで、11時からだった。自然と7時ごろに目が覚めたのを幸い、仕事前に少し部屋を片付けたり、福田さんがお便りを出したラジオを聴いたりした。福田さんはバックパッカーとしてアジアを巡ったりオーストラリアやカナダで生活をしていたことのある、いわば僕にとっての先達的な人で、お便りの内容も旅に関することかと思っていたけれど違った。人にはいろんな面がある。ひとえに色付けはできないものだと思った。

それでもまだまだ暇があったので『オートバイ』の続きを読んだ。寝ぼけながら読んで、主人公がスピード狂だということは分かった。それから朝食をキッチンで摂った。思い出せないけどトーストだったと思う。茹で野菜の残りだったかな?まあいい。それから久しぶりにエスプレッソマシーンを使ってエスプレッソを2杯。タバコを吸い吸いして、ナナミと話してヨガの日程を決め、他の住人たちと少し喋って仕事へ行った。

途中、八百屋でリンゴを買った。馴染みの店員のおばちゃんが元気だった。職場は繁華街なので、ついつい昼休憩で喫茶店やレストランに行って帰りにコンビニでアイスを買うなど金ばかり使うし、本読む暇も作れないからリンゴだけ食って本を読んだりしようと思ったのだ。イキって通勤風景とリンゴの写真「これからは八百屋でリンゴ買って節約するぜ」的なニュアンスの言葉を添えてインスタに載せた。

さて、昼の職場には2人サークル時代の友達がいて、1人は僕の守護天使とも言える同い年のRという女の子だ。彼女とその夫とは彼らが結婚するよりもっと前から、もはや拡大家族の一員と言っても差し支えないほど仲良くさせてもらっている。Rは僕が所属している部署で主に教育係を務めていて、頻繁に顔を合わせるのだけど、もう1人のIという後輩の子は別の部署なだけあって今日、8年ぶりくらいに会った。

別の社員さんは僕とIも昔馴染みだと知ると、最近Iちゃんは垢抜けてさらに可愛くなったんだよと言っていたけれど、久しぶりにみるIは(もちろん昔から変わらずとても可愛いのだけれど)ずいぶん痩せていて少しだけ心配になった。

昼休憩では東京でドラム奏者として活躍しているNが僕のインスタにコメントを残していて、「一膳めし 青木堂」とだけ一言。正直リンゴひとつでは足りないからコンビニでペヤング超大盛りを買おうと思っていたところにそのコメントは効いた。あそこはいい店だ。僕は食欲においてはよわよわおぢさんなのだ。だから結局断念して青木堂で豚キムチ定食に900円遣った。

それから昼の仕事を終えて今はキャバクラで働いている。今日は平日で雨なのであんまり人が来ないようだ。そういう週は週末にものすごいことになったりするのだけど。キッチン業務の僕は、やることを終わらせて、することがない間は携帯でぽちぽちブログを書く暇さえある。素晴らしい。

こんな感じの余暇を用いていずれ小説も書けたらいいと思う。

4月9日「いろいろ」

今夜は夜勤がない。眠りたいけど眠るにはもったいない夜。

昨夜の雨に比べて、今朝はとてもいい天気だった。今日の仕事は11時からだったので、いつも通り9時前に着くように大名に行き、喫茶店で時間を潰した。獏も風街も開店前だったから松下記念館という喫茶店に行った。古びたいい喫茶店で、9時過ぎに着くと広めの店内に馴染みらしい男がひとりいて、店員の女性と会話しながらモーニングを食っていた。

僕は最初テーブルに座ろうとしたのだが、これから2時間近くもいるのだし、いずれ店も混むだろうと思ってカウンターの一番端っこの席に移動した。

ムルソーのことを考えながらカフェオレを頼み、A.ピエール・ド・マンディアルグの『オートバイ』とタバコをテーブルの上に出す。この小説は、地元の古本屋で偶然目に留まった代物で、知らない作家だったけれど、『熊を放つ』を読んで以来、バイクを題材にした小説には興味があったので買ってみたのだった。

物語が始まる前に、作者はアラン・エドガー・ポーから引用していた。

嵐の一夜、メツェンゲルシュタインは、深い眠りからさめると、狂ったように部屋を出て、急いで馬にとびのり、鬱蒼たる森をわけて、疾駆した。

この一文だけで、この小説がどんなものなのかというイメージがみるみるうちに膨らんでいく。ページを開きたくなる。もちろん内容はイメージ通りというわけではない。例えば主人公がハーレー・ダビットソンを駆るスイス生まれの19歳の女の子だとは思ってもみなかった。なるほど確かにフランス語ではバイクは女性名詞だ。関連性があるのかわからないけれど。

小説の構造や背景も面白そうだ。まだ序盤しか読み進めていないからわからないけれど、主人公は受け身で控えめな年上のフランス人夫の赴任に付き添い、ドイツ国境近くの城塞のある街で暮らしていて、ドイツに住むサディスティックな男と浮気をしている。夫は主人公が夜にバイクで飛び出て行くことを悲しみつつも容認している。主人公たちが住むアルザス地方はドイツ系の住民も多く、文化的にも仏独両者の影響がある地域だ。主人公の女が夜更けと共に国境を越えたあたりまで読んだところで、喫茶店の店主に話しかけられた。

「よくそんな小さい文字が読めるねえ」と白髪の小柄な女は言う。返答に困る。「ええ、まあ好きですから」と僕。全く的外れで苦し紛れの回答だ。幸い、女店主は質問を変える。「どこから来たの?」「I駅です」「まあ懐かしい。あのあたりは私も昔・・・」「そうなんですね、それはどうして?」と会話は続いてゆく。

すると突然カウンターの僕の隣の席に女が一人電話しながら座ってきた。その女は社内の人間と電話をしているようで、はじめ電話だけだったのだがパソコンを取り出してファイルを開き激しくタイピングをしながら語調は徐々に強くなった。そうこうして僕は本をカバンにしまい、エスプレッソを注文して、あとはただ壁を見つめてタバコを吹かしていた。

その頃、ユーキがインスタグラムで僕の作品集を庭で読んでいる写真をアップしてくれていた。嬉しくなった。こういう出来事を忘れないでいたい。

そのうち11時に近くなったので職場に行って働いた。特筆するようなことはあるようでない。

仕事が終わり、近くで天ぷらを食って家に帰った。それから夕飯はうどんに茹でたもやしとキャベツを乗せてドレッシングをかけて食べた。悪くない。飯を食いながらY丸が毎日投稿している掌編小説を読んだ。それからブログを書き始めた。

そしてピーターがキッチンにやって来たので四方山話に花を咲かせた。お互いに爆笑する場面もいくつかあって、英語でなんとかやりとりできていることに満足した。もちろん破れかぶれの英語だけど。

福田さんのお便りが僕の大好きなラジオ番組で取り上げられたらしい。ピーターと話したりコンビニに行ってアイスを買いに行ったりこのブログを書いたりするのにかまけて今夜は聴くことができなかったから明日にしよう。一体全体どんな投稿をしたのか聴くのが楽しみだ。

4月7日「いい1日」

昨日は昼の仕事の後にキャバクラで働いた。とても疲れた。今日は休み。朝のうちに目が覚めた。治りかけの風邪はぶり返し、口の中の水ぶくれみたいなものはまた大きくなっていた。それでもなんとか布団を抜け、床を半ば這いつくばりながら荒れた部屋を片付けた。ある程度気持ちよさを感じるくらいに部屋が片付いたので朝食を食いに共用部のキッチンに降りると、そこにはアメリカ人のピーターがいて、最近毎日続けているパン作りにいそしんでいた。彼が昨日作ったビールを使ったパンを分けてもらったり、今日作っているクルミやらドライフルーツ入りのパンが出来上がってゆくさまを眺めたりした。

「いつか日本人の友達に、僕の作るアメリカ風のサワードゥを美味いって言わせるんだ」とピーターは言った。サワードゥは酸味のあるパンで、日本人には馴染みがない。なんでも美味しい僕なんぞは食べた後に残る酸味にもう一口でも二口でも欲しくさせる魔力を感じるのだが、誰しもがそう感じるわけではないらしい。

そうこう話しているうちに、元パン屋のフランス人であるケヴィンがやってきて、ピーターにあれこれアドバイスをしていた。その様子を眺めていて、僕はなかなか面白い時代、そして面白いところに住んでいるなと思う。

それから僕たち3人は、旅についての話をした。ケヴィンはベトナムでバイクを借りて、たった一人で国中を巡ったのだという。福岡からならそう金もかからずに同じような旅ができると教えてくれて、ワーキングホリデーに行く前にベトナムを旅してみたくなった。

昼になり、僕は疲れを感じてひと眠りすることにした。今日はたった一つだけ用事があるから、それまでの数時間。ベッドを整えアラームをかけて眠っていたら、いつの間にか僕は風呂に浸かっていた。ぬるま湯で、風邪をひきそうだと思った。辺りを見回すとシェアハウスの玄関で、僕はそこに湯を溜めて入浴しているようだった。もちろんこれは夢だったのだけれど、起き上がりたくても体が動かず、目も開けられず、しばらく幻想の玄関風呂にとらわれていた。

目が覚めて、僕は楽しみだったライブに行く準備をした。昔、サブスクで聴いてからお気に入りだったUMIというシアトルのアーティストだ。まさか福岡に来るとは思わなかった。一人で行くには腰が上がらず、インスタグラムで一緒に行ってくれる人を募集したけれど反応はなかった。それでも行きたい気持ちが収まらなかったので行くことにした。結果として、すごくいい経験だった。あそこまでステージ上での立ち振る舞いが自身の哲学を体現している人は珍しい。ライブではいろんなことがあったから、時間をとって別に記録に残さないともったいない。ある曲を歌う前に「この曲を作ったとき、私はフリースタイルで曲を作ったの」と彼女は言った。「スタジオに行ってビートを出して、何も考えない。何も予定しない。そのまま、マイクの前に座って、ばって出てくるって作り方」それを聞いていて、ぼくは自分の作品を思った。ほとんどの詩や短編小説やこのブログの記事や日記は大抵その作り方だ。自動筆記とまではいかないけど、頭の中で喋っている言葉をそのまま書いている。UMIの音楽とは違って、ぼくのフリースタイルはわざわざ読んでくださっている方々にとってはかなり読みづらいだろう。だけど僕にとってはすごく楽しい。フリースタイルで絵でも音楽でも書き物でもなんでもやってみるのは、自分にとっていいことだと思う。

ヨガを始めてみることにしたのも、UMIのライブに行くことを決めてからだ。なんだかタイミングや親和性のようなものを感じて、これは踏み切らないいけないなと思ったからだ。

家に帰ってきて、オンラインの英会話を受けた。

いつかのぼくのお猫さま

 

「僕は誰のことにも執着できない」

「どういうことですか?」

「あー、なんでもない」

「なんなんですか」

「ところで、君は今いくつ?」

「知ってどうするんですか?」

「そりゃあ、なんというか。まあ、いいか」

「はあ、煮え切らない人ですね」

「執着しないからさ」

「それじゃあどうぞ、このままどこかへ流れ去ってください」

「それもそうだね、さようなら」

「ええ、それでは」

「いずれどこかで」

写真でひとこと

実家に帰っている。書いては消して、何を書こうか考えあぐねているうちに、なかなかいいお時間になった。はてなブログの機能の箇所をこねくり回しているうちに、昔、別のブログで使った画像がアップロードされっぱなしだったのを見つけた。それでこれは使えると思ったので写真でひと語りしていくことにする。

偶然なのかなんなのか、今日、姉の結婚式に使う写真を見繕うために僕と母は姉とビデオ通話しながら昔のアルバムを紐解いて順に眺めたりした。その時の感傷についてはまたおいおい語りたい。

 

さて、一枚目

これは東京都の西の端っこの方にある日野市の相当古いアパート。浅川という綺麗な川が流れていて、これが多摩川に繋がり都心にまで流れてゆく。ここは東京では三軒目の住居で、和室、ペット可、ベイク駐輪場あり、図書館近辺で調べてここに行き着いた。都心より気温が2℃くらい低く、富士山もよく見えた。川にはカワセミがいたし、河川敷の遊歩道を散歩する人や犬たちはいつも楽しそうだった。僕も楽しかった。ベランダの椅子に座って猫を抱えてのんびりする夕べ、快適な家具たち、安い食料品店に、ガスコンロと中華鍋。劇団もバイト先も新宿近辺だったので、ここから片道2時間かけて通勤したり稽古に行ったりした。もちろん京王線はいつだって満員電車に決まってる。

 

これは僕の住んでいた東京の片隅にある日野市よりさらに北西の端、奥多摩である。ここには何度か訪れた。大作家、浅田次郎さんゆかりの地でもある。奥多摩はとても居心地が良く、本当はこういうところで暮らしつつ、演劇関係の用事があるときだけ都心に通ってみたかった。トトロに出てくるメイとサツキのお父さんみたいな感じか。

この写真を撮ったときはY丸と山葵を食いに行ったときだったか、当時の彼女と御嶽山に登ったときだったか。

 

この二葉の写真に写っている本は実存主義と縁深い精神科医R.Dレインによる詩集『好き?好き?大好き?』である。場所は東京での二軒目の住まいであり、のちに劇団の稽古場ともなった、リノベした一軒家である。演劇なんて何も知らなかった自分が演出兼脚本をすることになり、中野がTwitterで集めてきた人たちにオーディションをしなければならないということでとりあえずこの詩を読んでもらうことにした。けれども結局気が変わって、この本の中の別の詩を読んでもらった。演劇、またやりたいなあ。

 

それより数年遡ってアメリカ旅行。どうやら載せた写真は時系列がバラバラなようだ。

軽音サークル時代からの友人Kが2年の留年を終え卒業旅行的な感じで、当時山口県で薄給のWEBライターだった僕をアメリカ旅行に誘ってくれた。二つ返事をしたはいいが金がないので急いで仕事を辞めて鉄工所で働き始めた。そこで僕は人生が変わる出会いをすることになる。さて、この旅のことを振り返ると、それこそ一つは小説が書けるだろう。1ヶ月まるまる使って毎日何百キロもレンタカーを走らせた。アメリカ大陸は美しかった。初めて行ったのになぜか懐かしさや安らぎを感じた。楽しい旅だった。

心配性のKは僕がハンドルを握ると、たちまちスピードがどうとか車線がどうとか絶えず気になり始めるようで全然運転させてくれなかったから、二日目以降はずっと助手席にいた。僕らはずっとハッピーなままで居心地が良く、喋ることがなくなったらひたすら本を読んだり、タバコを吸ったり、音楽を聴きながら山や街並みや隣の車線の車中にいるアメリカ人をぼうっと眺めたりした。

 

鉄工所勤務時代、暇だったので手帳に落書きした川向いの工場プラント。下手すぎて伝わりゃしないだろうけど、これぞまさに宇部(故郷)って感じ。