4月7日「いい1日」

昨日は昼の仕事の後にキャバクラで働いた。とても疲れた。今日は休み。朝のうちに目が覚めた。治りかけの風邪はぶり返し、口の中の水ぶくれみたいなものはまた大きくなっていた。それでもなんとか布団を抜け、床を半ば這いつくばりながら荒れた部屋を片付けた。ある程度気持ちよさを感じるくらいに部屋が片付いたので朝食を食いに共用部のキッチンに降りると、そこにはアメリカ人のピーターがいて、最近毎日続けているパン作りにいそしんでいた。彼が昨日作ったビールを使ったパンを分けてもらったり、今日作っているクルミやらドライフルーツ入りのパンが出来上がってゆくさまを眺めたりした。

「いつか日本人の友達に、僕の作るアメリカ風のサワードゥを美味いって言わせるんだ」とピーターは言った。サワードゥは酸味のあるパンで、日本人には馴染みがない。なんでも美味しい僕なんぞは食べた後に残る酸味にもう一口でも二口でも欲しくさせる魔力を感じるのだが、誰しもがそう感じるわけではないらしい。

そうこう話しているうちに、元パン屋のフランス人であるケヴィンがやってきて、ピーターにあれこれアドバイスをしていた。その様子を眺めていて、僕はなかなか面白い時代、そして面白いところに住んでいるなと思う。

それから僕たち3人は、旅についての話をした。ケヴィンはベトナムでバイクを借りて、たった一人で国中を巡ったのだという。福岡からならそう金もかからずに同じような旅ができると教えてくれて、ワーキングホリデーに行く前にベトナムを旅してみたくなった。

昼になり、僕は疲れを感じてひと眠りすることにした。今日はたった一つだけ用事があるから、それまでの数時間。ベッドを整えアラームをかけて眠っていたら、いつの間にか僕は風呂に浸かっていた。ぬるま湯で、風邪をひきそうだと思った。辺りを見回すとシェアハウスの玄関で、僕はそこに湯を溜めて入浴しているようだった。もちろんこれは夢だったのだけれど、起き上がりたくても体が動かず、目も開けられず、しばらく幻想の玄関風呂にとらわれていた。

目が覚めて、僕は楽しみだったライブに行く準備をした。昔、サブスクで聴いてからお気に入りだったUMIというシアトルのアーティストだ。まさか福岡に来るとは思わなかった。一人で行くには腰が上がらず、インスタグラムで一緒に行ってくれる人を募集したけれど反応はなかった。それでも行きたい気持ちが収まらなかったので行くことにした。結果として、すごくいい経験だった。あそこまでステージ上での立ち振る舞いが自身の哲学を体現している人は珍しい。ライブではいろんなことがあったから、時間をとって別に記録に残さないともったいない。ある曲を歌う前に「この曲を作ったとき、私はフリースタイルで曲を作ったの」と彼女は言った。「スタジオに行ってビートを出して、何も考えない。何も予定しない。そのまま、マイクの前に座って、ばって出てくるって作り方」それを聞いていて、ぼくは自分の作品を思った。ほとんどの詩や短編小説やこのブログの記事や日記は大抵その作り方だ。自動筆記とまではいかないけど、頭の中で喋っている言葉をそのまま書いている。UMIの音楽とは違って、ぼくのフリースタイルはわざわざ読んでくださっている方々にとってはかなり読みづらいだろう。だけど僕にとってはすごく楽しい。フリースタイルで絵でも音楽でも書き物でもなんでもやってみるのは、自分にとっていいことだと思う。

ヨガを始めてみることにしたのも、UMIのライブに行くことを決めてからだ。なんだかタイミングや親和性のようなものを感じて、これは踏み切らないいけないなと思ったからだ。

家に帰ってきて、オンラインの英会話を受けた。

いつかのぼくのお猫さま